昼逃げの真相1

DV離婚
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元夫との出会いは 職場だった。

私は一人娘(当時4歳)を育てながら 働いていて、そこに転職してきたのが元夫。

同僚から付き合うまでは長かったけど、子供のことをいつも気にかけてくれて子供の好きなことや楽しいことを率先してやってくれていた。

そんな優しい彼に 子供も懐いていくのに時間はかからなかった。

旅行もたくさんしたし、休日は3人でほぼ一緒に過ごしていた。

3年ほど付き合って、ある時、妊娠がわかった。

彼も娘も大喜びで 正式に婚姻届を出し、3人での生活が始まった。

娘の父親になってからも 優しくて一生懸命で 宿題を一緒にしたり夜寝る前にはみんなでストレッチしたり穏やかな日々を過ごしてた。

そして赤ちゃんが産まれた。

彼にとっては初めての赤ちゃん。女の子。

可愛い可愛いと家にいる時はずっと抱っこして、おむつ替えもお風呂も一緒に育児をしてた。

赤ちゃんのことに一生懸命になるに連れて、彼は、娘(当時2年生)に対して関心が薄れていっているようだった。

そしてちょうどコロナが流行、彼は、家以外は 菌だらけ・赤ちゃんを守らないと、という意識がすごく高くなっていた。

小学校で過ごす娘が帰宅すると、玄関で靴下を脱がせ、持ち物やランドセルに アルコールスプレーをかけ、娘が触った扉や 歩いたあとにアルコールスプレーを吹きかけてまわっていた。

学校でのものは汚いと言い、彼がいる時は 娘は家で宿題も出来なくなるほど恐縮していった。

通っていた習い事も 赤ちゃんがいるから 娘を送迎できないから辞めるよう促してきた。

彼は 赤ちゃんだけを大事にして、私や娘に対して以前の愛情が薄れていってるのがわかった。

彼も自分の変化に気づいていて 苦しんでいるようだった。何度も話し合い、その度に私や娘へ向き合ってくれるようにはなっていた。

赤ちゃん中心の生活しか考えられない彼、娘の生活も考えて欲しい私との間で すれ違いは少しづつ大きくなっていく。

最初は 暴言がすこしづつ出始めた。

この頃は私も言い返していたので 喧嘩 ということになると思う。

だけど、初めて 暴力を受けた日、この日からは、この人は喧嘩になると 手を出す、怖いと感じるようになった。

意見は言いづらくなった。顔色を伺う日々。

私がそうなら、子供はもっとそう。 娘は、家では 話さなくなった。

明るかった我が家、再婚して仲良く暮らしていた日々、どうして どうして 

どうして?ばかり思っていた。

それでも 夫も悩んでいて夫婦で話し合っては、仲直りをしていた

仲直りとは、今思えば 私が 謝る が必ずだったのだが、、

彼との間に 2人目の赤ちゃんを授かった。正直、彼と距離を置くことを考えていたけど、この妊娠で彼と向き合うことを決心、一緒に生きていこうと考え直した。

(これが間違いだったんだよね、、)

兄弟ができれば 兄弟を育てる大変さがわかってくれるかなと淡い期待もあった。

2人目の赤ちゃんが誕生してからも 緊張感のある生活は 良くなったり悪化したりを繰り返した。

ある時、限界が来て、置き手紙をし、娘(当時3年生)、1歳児、11ヶ月児を連れて実家に家出した。

彼のお母さん(義理母)には 彼の暴言・暴力・態度を全て相談していました。

彼の母は、話を聞いてくれて私た娘たちのことをいつも考えてくれる人だった。

自分の行いを顧みて 昔の優しい彼に戻って欲しかった。自分のしていることを自覚して欲しかった。

置き手紙には 義理母に相談していたことと、当分の間、話し合いは義理母を通して欲しい、と書きました。

2人ではまともに話し合いができない彼に実家に家出までして決死の思いで伝えたつもりでした。きっと考え直してくれるだろう、、と期待していました。

そんな期待は崩れ去り、彼は逆上して、実家に来ました。

玄関前で暴れ 警察が来る事態になりました。

すでに何回か警察にも家庭の事情を相談してたので、警察が間に入ってくれ、彼はこの日は警察官に連れられて帰って行きました。

2〜3日して LINEが来て、実家に来ました。初めて彼の涙を見た私はすっかり信じてしまい、家出を終えて子供と帰宅することにしました。

彼と生活を立て直そう!と頑張っていましたが、しばらくしてまた不穏な空気になった時、家出した時のことを、彼にいろいろ言われました。

全く反省していなかったし、お前のせいだという考えでいることに驚愕してもう無理だ、、と初めて思いました。

私とは全く思考回路が違う。私が思うようなこんなふうに思っているはず、、とかは通用しないんだなと感じました。

彼の考えは全くわからないと気づいてから、何を言い出すか、何をするかわからない彼の行動が怖くなりました。

とにかく毎日怒らさないように、でも子供たちのことは気を配って、彼が帰宅する前に、ややこしくなりそうなことは全て終わらせて、、という生活をしていました。

キリキリした生活の中、一瞬だけど仲が良くなるときもあって、その時にたまたま妊娠し、元夫との間に第3子を授かりました。

私は今までの生活態度のこと、これからの生活のことも考えて、精神的にも金銭的にも、この赤ちゃんを育てるのは難しいと思っていました。

彼はジェットコースター並みに感情の起伏が激しかったし、すぐ無視をされるようになっていたので、直接話しかけず、LINEで話し合いを試みていました。

一旦は中絶書にもサインしてもらったけど、命の重み・尊さ・どんな子だろう、会いたいという気持ちだけは夫婦で一致したので散々迷いましたが産む決意をしました。

そこから、本当にジェットコースターに激しく揺られているかのような妊婦生活でした。

彼の機嫌の良い時・悪い時に左右され、こんなに幸せを感じない妊婦生活なんてあるのだろうか、、

自分の職場にいる時、彼が出張で家にいない時しか安らぎを感じませんでした。

それでもお腹の子はスクスク育っている。産後の生活が不安でいっぱいでした。

そしてついに永遠に家を出ることになったあの日、

妊娠7ヶ月。 朝から 彼は機嫌が悪く、些細なことから怒りだし、子供達に朝食を食べさせている私の腕を掴み、「廊下に出ろ!」と引きづり出されそうになりました。

必死に抵抗し、逃れましたが、彼は怒りが収まらず、自室にいる娘(当時5年生)の部屋に駆け上がり、ドアをドンドン叩いたり蹴ったりし、娘に暴言をはいて 家を飛び出して行きました。

すぐに娘のところに行き、鍵を開けてもらい部屋に入ると、大泣きの娘、、

強く抱きしめて ごめんねごめんね、もう家を出よう もうだめだ と、この日、職場・小学校・保育園を休み、実家へ荷物を運びました。

続く

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